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特集ダイジェスト 「ジャパン・ブランド」中国を往く
中国市場を拓く日本アパレル企業
 生産基地から市場展開に。日本手法のMDで伸ばす
ライター・土井弘美

 日本のアパレル企業が中国に進出したのは80年代半ばからで、生産基地として安い工賃を求めてのことであった。ワールド、イトキン、ワコールなどの大手企業がこの時期に進出し、生産ネットワークを構築、現在に至っている。
こういった日本のアパレル企業の「まず生産基地として」という進出は、欧米のラグジュアリーブランドとは全く違っている。欧米には生産基地として東ヨーロッパがあるため、彼らは最初から中国を市場ととらえ、製品を持って進出している。
日本企業は早い時期から中国進出を果たしていたにもかかわらず、日本市場のみを意識していたために、中国を市場として認識するのが遅れた。これはアパレルに限らず、多くの日系企業が陥った状況であった。
 とはいえ、イトキンもワールドも95年ごろから中国国内での販売を始め、市場の成長に伴って拡大してきた。2000年代になってからはオンワード樫山、もくもく、三陽商会などの後発組が続々と中国上陸を果たした。04年からはJETRO主催による「JFF(ジャパンファッションフェア)」もスタート、毎年1回上海や北京で大規模な展示会を開催している。

代理商を使わずに成功したオンワード樫山
 現在、順調なのはオンワード樫山であろう。02年からの進出と時期的には遅かったが、「23区」「ICB」「組曲」「Jプレス」「ローズブリット」に、07年秋からスタートした「ジョゼフ」を加えた6ブランドを、上海を主軸に全国24都市で展開している。07年には30店舗を開店させ、総店舗数は153店舗にのぼる。販路は百貨店が中心で、売上げは昨年対比約1.5倍と大きく伸びている。これは新規開店の影響もあるが、ブランド自体が浸透してきたためだ。
 MD的には日本での手法をそのまま持ち込み、現地にMDとパタンナー、デザイナーを置いて、期中企画や売れ筋の追加などに対応する。商品は基本的に日本と同じだが、中国の嗜好に合わせた現地企画を2割ほど差し込む。これは現地のトレンドが日本と異なる場合があるためだ。この体制ができたのは2年ほど前で、このフォローアップが数字となってきたと考えられる。
目標値は2010年に400店舗、売上げ150億円という。ただ400店舗となると、とてもこれまでの百貨店中心に絞った販売チャネルでは対応しきれないため、今後はSC(ショッピングセンター)にも展開していくことが予想される。おそらくは新たなブランドが投入されることとなろう。
 オンワード樫山が取り入れた主な宣伝方法は、日本系のファッション雑誌へのパブリシティ、商業施設でのファッションショーである。「ウィル」「モア」「ルーシー」などのファッション雑誌が中国語版を持っていて、日本のファッションがほぼリアルタイムで紹介されている。このため、情報はかなり早く伝わっており、「日本で知名度のあるブランドでないと中国市場では伸びない」とまでいわれている。
オンワード樫山の成長は、「進出が遅かったため、先発企業の状況を見ながらかなり慎重に行った」ことにある。現地に子会社を設立、社員が直接百貨店と交渉して売り込み、代金を回収するという日本と同じシステムを取った。つまり、代理商を使わずすべて自社で行ったのである。販路も百貨店に絞り(どのみち日本国内の価格を変更してはいないので、中国では高級商品のイメージが強いが)、ブランドイメージを上げていったことが功を奏したようだ。

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