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ライフスタイルバッグの開発現場 28
ジャーナリスト 三田村蕗子

「コルボ」 (カーポ)

海外修行、独立を経て生まれた革ブランド

カナダと米国とイタリアで2年間、バッグづくりを経験
 多くのファンを持つバッグのメンズカジュアルブランド「CORBO(コルボ)」は、98年に産声を上げた。中心価格4万〜5万円という設定は、当時の国内のメンズバッグとしては異例の高さであり、「売れるはずがない」と批判的に見る業界関係者も多かったが、その独特の個性で着実にファンをつかみ、足場を固めていった。
 コルボの魅力は製造元であるカーポ(東京・渋谷区)のデザイナーの古瀬聡さんがたどってきた紆余曲折の道のりから生み出されたといえる。「大好きなスキーの分野で仕事をしたい」とスキーのキャリアを手掛けるメーカーで工業デザイナーとして働き、その後、老舗カバン問屋に転職。ここで、バッグの企画に携わるようになる。 
 だが、求められていたのは価格が安いナイロン製のバッグばかり。この時から「もっと格好いい革のバッグを作りたい」という気持ちがむくむくと膨らんでいったという。「ただ、いくら提案してもまったく企画が通らない。製品になったものはゼロでした(笑)」。
 自分を認めてくれない会社と日本に見切りをつけて日本脱出を図った古瀬さんは、カナダから米国、イタリアへと渡り、働きながら充実した2年間を送った。バッグ作りの経験があることから、各地のバッグ業界で仕事をする機会は多かったそうだ。コルボの素地は、本場の革、本場のモノ作りに触れた経験から培われたのだろう。

独立第2弾のシリーズが評価され、軌道に乗る
 95年に日本に帰国し、バッグのデザイナーとしてある会社に採用された古瀬さんはがむしゃらに働いた。コルボの人気シリーズ「クレイ」のショルダーバッグの原型はこの時生まれた。イタリア特有のなめらかなオイルなめしの革を使い、シルバーのコンチョ(飾りボタン)が印象的なバッグは、企画会議に通らなかったが、古瀬さんは無断で展示会に出品。この時の反響は「いまひとつだった」と古瀬さん。自分が納得できるモノを世に問いたいという古瀬さんの情熱と技術、創造力が世に受け入れられるにはいま少しの時間が必要だった。
 会社の業績アップに貢献したものの、体をこわしてしまった古瀬さんは「もう、バッグの仕事からは足を洗おう」と決意した。だが、周囲がその才能を放っておかなかった。同僚からいっしょにバッグの会社を立ち上げようと誘われ、ここにコルボが誕生する。
 最初に発表したのは、「ストラッド」「プレインスポークン」「エルバ」の3シリーズ。手触りの良いホースレザーを使った「プレインスポークン」、牛革ヌメシュリンクを用いた「エルバ」など、革の持ち味を生かしたが、古瀬さんは「売ろうと思っておとなしめに作った」と振り返る。
 それが裏目に出た。待っていたのは「高すぎる」という評価だった。これに発憤した古瀬さんは、「もう思い切りやるしかない。それで売れなかったら辞めよう」と開き直りにも似た境地で第2弾に取りかかった。
 こうして発表されたのが、「ムーンレスナイト」「リーバーバイスン」「オールドマン」のシリーズだ。シボを細かくソフトに、かつ面を強くするために小型のジャージィー牛革を使用した「ムーンレスナイト」をはじめ、いずれも反響は高く、軌道に乗り始めた。