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グローバル視点のマーケティング
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ナイキとアディダス両雄の時代へ

90年代最大の消費者クラスターは、ジェネレーションY(1976〜86年生れ)だった。この世代がメインターゲットになって90年代に成長したスニーカー市場がスケートボードシューズである。しかし2000年代に入って彼らが大人になると、急速に低迷した。

トゥィーンズ(1986~93年生れ)消費者はジェネレーションYに対してジェネレーションZと呼ばれる。彼らの登場で、2000年代前半の5年間、アメリカのスニーカー市場は劇的に変化した。この変化に追随できなかったスケートボードシューズ、バルカナイズスニーカー、中堅アスレチックフットウエアブランドが次々に買収された。その最大かつ最後のイベントがアディダスによるリーボック買収(05年)である。

パラダイムシフト(価値観の劇的な変化)で新たに誕生した市場には、それまでになかった新ブランドや新成長カテゴリーが登場した。「クロックス」、「フリップフロップ」のブランド群、そしてシープスキンブーツである。クロックスは04〜07年に急成長し、フリップフロップはトゥィーンズのサマースタイルとして定着した。シープスキンブーツブランドは長期安定成長を維持し、「ミネトンカ」や「アグ」が有力ブランドに躍進した。

パラダイムシフトで起こった市場再編成で、アスレチックシューズ分野ではナイキとアディダスの2極(NIDAS)支配が確立した。ナイキとアディダスは一見同じようなアスレチックフットウエアブランドに見えるが、デザイン、機能、マーケティング、プロモーションのいずれをとっても、対象的なブランドである。アディダスは伝統的なアスレチックフットウエアブランドだが、ナイキの本質はコンテンポラリースタイルのストリートスニーカーブランドである。

アメリカの最新スニーカー市場は「NIDAS」+「マス・クラシックブランド(Mass Classic Brands)」、「モカシンブーツ」、「コラボレーションモデル」の多極構造に変化した。NIDASが得意にしてきた「アスレチックフットウエア」と「コンテンポラリーストリートスニーカー」は、成長力が急激に低下しているため、2社は新たな成長スタイルを開拓しなければならなくなっている。

今後ナイキが成長を持続するためには新しい市場を創造するか、既存の「Mass Classic Brands」、「モカシンブーツ」、「コラボレーションモデル」にも進出するかのいずれかを選択せざるを得ないだろう。ナイキがなかなか成功しないにもかかわらず、執拗にスケートボードシューズにR&Dとプロモーション攻勢をかけているのは、以上のような市場判断が背景にあるからだ。

クラシックモデルのリプロダクション

ナイキはクラシックモデルのリプロダクションを10年から本格的に推進し始めた。アメリカ市場は12年から「ライト・バルカナイズ」が最新トレンドに浮上してきたから、ナイキも「オールドスクール ヴィンテージ」路線を打ち出して、クラシックリプロ強化を明確にしつつある。

今年1月5日には「ブルーイン」のリプロ新モデルを発売した。同モデルはすでに09年からリプロが始まっており、スケートボードのヴィンテージラインのコアモデルになっている。3月にはJクルーとのコラボレーションで「Waffle Racer」と「Cortez」のクイックストライク*も発売した。いずれも1970年代のモデルで、オリジナルに忠実なリプロダクションである。4月には「キルショット II」を発売した。これは79年に登場したコートシューズである。

かつてナイキはヴィンテージモデル供給に消極的だった。アディダスがすでに「オリジナルズ」でクラッシック&ビンテージ市場支配を確立していたからである。しかし「NIKEiDシステム」の完成で、アディダスとは異なったビンテージモデル供給システムを確立できたため、本格参入したのだ。08年に世界のグローバルシティに展開した「NSW」(8店展開)は、当初カスタマイズ販売ネットワークとして展開されが、最近はクイックストライクの販売拠点になっている。結局NSWはナイキの「オリジナルズ」だったのである。
*クイックストライク:特定販売先への数量限定モデル

スケートボーシューズを主軸に

現在ナイキのヴィンテージラインは、SB(スケートボードシューズ)を中心に進められている。「ブルーイン」は典型的なビンテージリプロモデルだ。12年1月5日に発売された。同モデルは「NSW」12年コレクションの一部として発売され、NSWの販売ルートを通じて限定販売ルートに供給された。販売は好調だったとみえて、その後も継続的にリプロモデルが発売され、8月にはスエードアッパーモデルが発売されている。

ブルーインは1972年にリリースされたバスケットシューズで、ハイテクデザインの多いナイキでは数少ないクラシックモデルだったため、早い時期からナイキを代表する「オールドスクール」モデルの一つになっていた。09年4月にサプリーム社とのコラボレーションで本格的SBモデルが開発され、その後はこれがスタンダードモデルとみなされてきた。ナイキは過去3年間、ブルーインをSBの主力モデルに育成してきた。ところが12年のアメリカスニーカー市場は「ライト・バルカナイズ」が最有望トレンドと見られるようになった。ブルーインはビンテージモデルに改良しやすいモデルで、ライト・バルカナイズトレンドに対応できるラインとして投入されることになった。

ブルーインのリプロはビンテージの名に恥じない、オリジナルを忠実に再現したモデルである。もともとのソール、シューレース、スォッシュはホワイトだったが、初期のビンテージリプロモデルはそれらすべてに黄ばみ加工を施していた。

ナイキはスケートボードシューズ強化のために、手持ちのオールドスク−ルモデルを次々に投入しはじめている。ブレイザー、ダンク、ブルーインはバスケットシューズからSBに転換された代表的なモデルである。いずれも新素材、最新テクノロジーを採用し、オリジナルから大幅に近代化されたモデルになっているが、あくまで外見はビンテージスタイルをキープしている。

さらに、クラシックモデル「キルショット Ⅱ (Gum+Blue)」が12年4月に発売された。「Gum+Blue」はホワイトレザーアッパーにガムソールを組み合わせ、ナイロンタンにオーセンティックラベルを配し、ビンテージ感を強調しているモデルである。キルショットは1979年に登場したラケットボールとスカッシュ兼用のコートシューズで、オリジナルは「ナイロンメッシュアッパー+スエードトリミング+ホワイトソール」のモデルだった。リプロダクションがスタートしたのは09年4月からで、「NSW」からリバイバル発売された。09年に急増しはじめたビンテージトレンド対策でナイキが打ち出したモデルの一つで、当初はさほど注目されなかった。

11年 6月にはテニススタイルにイメージを拡大した「Grey+Red」が発売された。同年 11月にはボートスタイルに対応した「Sail+Navy」も発売されている。12年は1月から次々にカラー、マテリアルの異なるモデルが発売されている。キルショットは定番モデルになったのである。

さらに、12年5月にトレイルランナー最新モデル「ローシュ ラン トレイル」を発表した。新モデルはトウボックスとヒール、カラー周辺がレザー補強されている。従来モデルにはなかったタン中心線に沿ったナイロン補強テープも付加され、構造の補強とデザインのタフイメージが強調されている。カラーは3パターンで、いずれもブラックとブラウン系統のカラーコーディネーションでハードイメージを強調している。

ローシュは10年に発売された軽量、簡略構造、機能限定のランニングモデルで、しかもナイキでは破格の70ドルという低価格モデルだった。カジュアルシューズ需要を狙ったモデルである。
別の表現をすれば、ナイキ伝統のACGモデル「ラバドーム」にフリーの最新テクノロジーを付加した「エクレクティックモデル」で、ハードイメージのカジュアルスニーカーである。ねらいは見事に当たったが、日本では売り方が分からなかったと見えて、11年発売のオリジナルモデルが5000円でセールにかけられている。

リーバイスとのコラボレーション

ナイキとリーバイスはコラボレーション・コレクション「511 Skateboarding Denim+Nike」を発売した。第1回の発売は7月4日の独立記念日に行われた。イメージアイコンにはナイキ契約ライダーのオマー・サラザーが起用され、リーバイス511 Skateboarding Denim Team Edition(198ドル)とナイキDunk Pro Low LR(85ドル)を同時発売した。「511」は、すでに2011年にサイクリスト向けのコミューターモデルも発売して成功を収めている。「511 Skateboarding Denim」はそのスケートボーダーバージョン。双方にとってアドバンテージのあるプロジェクトで、リーバイスは511チームエディションを7月4日、国内向けに900本出荷したと発表している。

ナイキは8月 21日、「SB チャレンジコート」(80ドル)を発売した。オリジナルと同じナイロンメッシュアッパー、ソックライナー、延長アンクルカラーを搭載し、オリジナルを忠実に復元したモデルである。オリジナルはホワイトアッパー、ブルースォッシュ、レッドパイピングのカラーコンビネーションだが、SBはブラックとホワイトアッパーの2色がリリースされている。

チャレンジコートは84年、ジョン・マッケンローが絶頂期にエンドースしたモデルである。これまでナイキのSBは主にバスケットシューズがベースモデルになっていた。テニスシューズをSBに転用したのはキルショットが初めてで、チャレンジコートはテニスシューズのSB転用第2号である。

ナイキのビンテージ路線はバスケットシューズのリプロを中心に展開され、その後クラシックランナーにもベースモデルを拡大して展開されてきた。当初の開発目的はSB向けリプロ新モデル開発だったが、09年以降のビンテージモデルブームと12年のライトバルカナイズブームの発生で、カジュアルスニーカー市場対応も兼ねた開発目的に変化してきた。そのために、より多くのモデルが必要になってきたことから、テニスのクラシックモデルまでオリジナルモデルにとして動員し始めたのである。

かつてナイキの新モデル発売は、常に革新的なモデルの発表一本やりで、リプロなどは論外だった。しかし、現在は急速にクイックストライクの比重が高まり、カジュアルスニーカー市場に対応するために大量のモデルが必要になっている。ナイキは恒常的に新モデルを供給しなければならなくなったのである。世界のスニーカーブランドメーカーは、ナイキに対抗するために、ナイキの大量に発売されるビンテージモデル情報を収集しておくことも必要条件になってきた。