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ヨーロッパサッカー市場での戦い

5月25日ウエンブリースタジアム(ロンドン)で開催されたUEFA(欧州サッカー連盟) チャンピオンリーグは、バイエルン・ミュンヘンがボルッシア・ドルトムントを2対1で降して優勝した。これでヨーロッパのフットボールシーズンは終わった。頂点に立ったのはスペインのスター軍団でもなければ、伝統のイングランドチームでもない。両リーグに世界の有望新人を育成供給してきたブンデスリーガチームだった。両チームとも100年を越える歴史を持つ名門チームで、人気・実力を兼ね備えたライバルチームである。
そして、今回の対決でもう一つ注目されたのは、アディダスがバイエルン、プーマがドルトムントにジャージーを提供しており、いずれのブランドが勝利するかというチームキット(ユニフォーム)戦争の行方だった。
UEFA チャンピオンリーグで優勝することは、ヨーロッパサッカーの頂点を極めることを意味し、チームだけでなく、ブランドメーカーにとっても知名度、販促に効果がある。対決はアディダスの勝利に終わった。ドイツのサッカーキットの名門2社の覇権は、かろうじて維持された。2012~13年シーズンには、アメリカ代表ブランドのナイキも史上最大のサッカー市場攻勢をかけてきた。今回はドイツの2ブランドがワン、ツーを確保できたが、14年のワールドカップ・ブラジル戦に向けて、ドイツ2社にナイキを加えたビッグ3の競争にはさらに熾烈な展開となりそうだ。
5月のヨーロッパは、サッカーシーズンのクライマックスを迎える。UEFA傘下の各国リーグの優勝チームが次々に決定し、国内カップ戦の決勝戦が各国で開催される。UEFAにはヨーロッパ各国・地域のサッカー組織53協会が加盟し、プレミアリーグ(英国)、リーガ・エスパニョーラ(スペイン)、ブンデスリーガ(ドイツ)、セリエ A(イタリア)、エールディヴィジ(オランダ)などの世界最高レベルのリーグがひしめく。
5月4日には132年の伝統を持つ FA カップ(英国)決勝戦がウエンブリースタジアムで開催された。しかし、なんといっても世界の注目を集めるのは5月15日のUEFA ヨーロッパリーグの決勝と、25日のUEFA チャンピオンリーグ 決勝である。この2つのカップ戦には世界中のサッカーファンが注目し、熱狂する。参加している有力クラブが世界中から最高レベルの選手を集めているからである。
いっぽう世界中のスポーツ用品ブランドも、総力を上げてプロモーションを展開する。毎年5月にはスポーツブランドメーカーと有力チーム、ナショナルチームがスポンサー契約を発表し、新しいユニフォーム(キット)を発表する。13年5月は、アディダス,プーマ、アンブロの3強に加えて「ナイキ」が大規模プロモーションを展開した。サッカー後進国のアメリカブランド「ナイキ」は、強豪アディダスとプーマに正面から戦いを挑んだのである。

サッカーからフットウエア総力戦へ

グローバルフットウエア戦争がナイキの圧勝に終わっているのは、もはや否定できない事実になった。しかしアディダスは依然としてサッカー市場で隠然たるプレゼンスを維持している。アディダスを追いつめてグローバル覇権を確立するためには、アディダスの本拠地、ヨーロッパ市場を切り崩さなければならない。
NIDAS(ナイキ + アディダス)のヨーロッパ競合は、表面的にはサッカー市場のシェア争いに見えるが、実はそうではない。ナイキとアディダスの最終決戦がサッカー市場を舞台にして、企業の存亡をかけて戦われているのである。
ナイキがヨーロッパサッカー市場を攻略できれば、アディダスは最後の砦を失うことになる。逆にナイキが失敗すれば、アディダスはサッカーを全面に立てて、グローバル市場で反撃に出るだろう。ナイキとアディダスのヨーロッパサッカー市場争奪戦は、両社の全力を投入した総力戦なのである。ナイキとアディダスの「バトル・オブ・ヨーロッパ」は、サッカーシューズやチームキットのシェア争いではない。勝利したほうが自動的にグローバル覇権を手中にするという最終決戦である。
ナイキがヨーロッパサッカー市場本格攻勢をスタートしたのは、08年にアンブロを買収したときだった。買収は06年のドイツ大会と、10 年の南アフリカ大会のちょうど中間年。当然ナイキがねらっていたのは買収2年後にやって来る「ワールドカップ」南アフリカ大会でのプロモーション攻勢である。
07年までのナイキは、クリスチアーノ・ロナウド(ポルトガル代表)やロナウジーニョ(ブラジル代表)のような若手選手とブーツのスポンサード契約を展開するのが中心だった。当時のチームキット3強はアディダス、プーマ、アンブロで、一方フットウエアはアディダス、プーマ、ヒュンメルの御三家が市場を占拠していた。そこに食い込むのは容易なことではなかった。ナイキは御三家に対等な戦いなどしたくてもできなかったのである。
08年のアンブロ買収後は、プロモーションとプロダクトが一変する。ナショナルチームキットのスポンサード契約を次々に発表し、ジュニア育成プログラムサポート(チャンス)などで、ナイキアイデンティティの打ち出しを積極化した。10年のワールドカップ南アフリカ大会は、ナショナルチームの対抗戦だから、代表チームキットに重点を置いたのは正しいマーケティング手法だったのである。アンブロは12年10月に売却されたが、ナイキは4年かけてノウハウを十二分に吸収してモトはとった。

世界帝国を目指すナイキ

10年の大会のナショナルチーム獲得作戦は、実際には、ビッグ3は痛くも痒くもなかった。彼らが重視してきたのはクラブチームだったからだ。ナショナルチームはイングランド、スペイン、イタリア、オランダくらいを押さえておけばコト足りたのである。ナイキはビッグ3の裏をかいて、ナショナルチーム獲得に全力を投入した。
ナイキがナショナルチームキットの次にねらったのはクラブチームで、12年から世界中の有力クラブチーム攻勢を開始した。12年4月にはヨーロッパ有力クラブチームの新デザインキットを次々に発表。これまでアディダス、プーマ、アンブロが管理していたサッカーチームキット市場に、強力な第4のブランドが登場したのである。
ヨーロッパのサッカー市場制覇のためには、FIFA、UEFA、さらには各国リーグ運営組織と密接なコミュニケーションを常時キープしなければならない。ナイキがヨーロッパサッカー市場になかなか食い込めなかったのは、サッカー組織へのパイプが細かったからだった。ナイキは伝統的に、インディビジュアル消費者中心のブランドメーカーで、不慣れなヨーロッパサッカー組織への営業攻勢に成功するかどうか未知数である。しかしアディダス攻略のためにはサッカー組織への浸透は不可避で、それに成功すればナイキ世界帝国が完成する。