今月の記事・ピックアップ 2014.4
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ユニフォームで圧倒的に強いナイキ

10年にわたる低迷を抜けて、アメリカのバスケットシューズ市場は最も高成長のメジャーカテゴリーに躍進した。カレッジバスケットボ−ルは史上空前の人気を集め、NBAも新コミッショナーにアダム・シルバーが就任(2014年2月)して人気挽回の体制が整い、成長は今後も持続するだろう。
フットウエアNO2のアディダスは、ランニングシューズに続いて、バスケットシューズでも差を広げられつつある。このまま放置すれば、バスケットシューズまでナイキの独走を許すことになる。いったいアディダスはどのような対抗策を打ち出すのだろうか。
もともとアディダスは、アメリカのバスケットボール市場で強固なプレゼンスを持っていた。日本から見ていると、なすすべなくナイキに独走を許したように見えるが、実はそんなことはない。
1980年代のアディダスバスケットシューズは、アメリカ市場のリーディングブランドだった。84年にマイケル・ジョーダンがナイキとエンドースメント契約を締結したとき、彼が最期までアディダスとの契約にこだわったのは業界ではよく知られたエピソードである。当時のコンバースはアディダスに次ぐブランドポジションで、ナイキはいわば三流ブランドだった。
アディダスがアメリカ市場でステータスが高かったのは、世界最高レベルのアスレチックフットウエアブランドという評価以外に、ユニフォームで圧倒的優位を確立していたこともプラスに作用した。アディダスは総合ブランドメーカーだったから、あらゆるスポーツカテゴリーでブランドを供給できた。カレッジやハイスクールのように多くの競技チームを擁しているところでは、アディダスの優位は絶対的だった。オニツカ(当時)やナイキが、総合化を執拗なまでに推進したのは、総合ブランドのアディダスに常に苦杯を飲まされて来たからだった。
かつてのNCAAディヴィジョン-I(1部リーグ )の有力校ともなると、トラック&フィールド、サッカーに止まらず、バスケットやテニス、そしてクリーツ(スパイク)はほとんどアディダスブランドだった。ちょっと前までの日本と同じである。ナイキが本格的なバスケットユニフォ—ムを打ち出したのはつい最近の2010年のハイパーエリートユニフォームからで、それまでアメリカの有力カレッジチームとプロチームで、アディダスは多くのスポーツ競技で独占的なブランドポジションを確立していたのである。

デリック・ローズモデルの誤算

90年代のバスケットブーム後に、ナイキは3つの有力バスケットシューズブランドで92%のシェアを獲得し、さらにユニフォームへの本格参入でバスケットボール市場からアディダスを排除し始めた。
この劣勢を挽回するため、アディダスも2012年になって反撃を開始した。その切り札としてアディダスが選択したのがデリック・ローズ(シカゴ・ブルズ)だった。ローズはジョーダンの再来と言われたプレイヤーで、アディダスは12年に期間13年で1億8500万ドルの大型エンドースメント契約を結んだ。
20代前半の若さでローズほどの才能と実績を持ったスタープレイヤーはほかには見当たらない。アディダスは90年代のバスケットシューズブームでは、エンドースメントの失敗で、エア・ジョーダンのようなメガブランドを育成することができなかった。今回は新エンドースメントモデル「D ローズ」で、ナイキのバスケット帝国に反撃する計画だった。
期待を担って登場した「D ローズ」は、さすがはアディダスと言わせるほどの出来映えだった。順調にいけば、エア・ジョーダンは無理でもレブロンやコービーモデルには十分対抗できると見られていた。ところがプロジェクトスタート直後に思いもかけない事故が起こってしまった。ローズが12年4月にプレーオフで膝を負傷し、まるまる1シーズン欠場してしまったのである。それでも初年度の12年は販売好調で、なんとか売上げ計画もクリアした。
13~14シーズンはローズの負傷も癒えて、プレシーズンにはニューヨーク、アジアでプロモーションを展開し、公式戦にもオープニングゲームから復帰した。アディダスも最新モデルのリリース・ストーリーを設定して、レギュラーシーズンモデル「シカゴサウスサイド」を9月末に発売し、次いでニューカラーバージョンの「ミシガンアヴェニュー」を11月23日に発売した。ところが皮肉なことに、ローズはセカンドモデルのリリース前日の11月22日に再び膝の負傷で戦列を離れてしまった。球団発表では、ローズは今シーズン再びフルシーズン欠場を余儀なくされると見られている。
仮にローズが13~14シーズンを欠場すると、前シーズンから合計200ゲーム近い欠場になる。伸び盛りの絶頂期にこれだけの欠場は、アスリート生命を左右することにもなりかねない。当然エンドースモデルにも影響が及ぶ。エンドーサーの価値は毎試合のプレゼンスとゲームでの活躍である。これだけ長期のコート不在は、ローズの選手生命だけでなく、「D ローズ」の販売にも大きなマイナスとなる。アディダスのバスケットシューズ戦略は、大きな打撃を受けるのは間違いない。

市場に合わせた高い危機管理能力が必要

アスリートのエンドースメントは、ローズのように怪我で欠場というリスクが付きまとう。ナイキもコービ・ブライアントが現在負傷欠場中で、復帰が遅れているため引退もささやかれ始めた。しかしアディダスと違って、ナイキはこの危機に効果的な危機管理を打ち出した。
コービーモデルのローンチスケジュールは毎年12月だったが、ブライアントが怪我で欠場したため、ナイキは発売を延期した。さらにこの危機を逆手に取って、これまでの8年間に発売して来たモデルをフィーチャーした「コービー プレリュード パック」というリプロシリーズを発売した。発売遅延を逆手に取った大規模プロモーションを仕掛けたのである。
アディダスがローズ負傷欠場で発生したマイナスを、D ローズ プロモーションでカバーできなかったのと比較すると、ナイキの危機管理能力はアディダスより格段に高度だと判断せざるを得ない。アディダスはブランドメーカーとしてのDNAは現在でも保持し、素晴らしいサッカークリーツを送り出せる。しかし市場変化を的確に認識し、迅速に対応する手法は打ち出せなかったのである。