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![]() ![]() 1917年創業のハルタは、春田余咲氏が金沢から上京、靴店での修業時代を経て東京・南千住に靴の製造販売業をスタートさせたもの。後に春田氏は、日本製靴業生産性視察団員としてアメリカの靴業界を6週間に渡って視察した際、一足のローファーに出会った。「玄関で靴を脱ぎ履きする日本のライフスタイルに合っているのではないか」と考え、帰国後オリジナルのローファー「308」を作った。これが、ハルタが製造した最初のローファーとなった。 ![]() 「ハルタのローファー」が有名になったのは、学校の指定靴となって広く履かれるようになったからである。1980年代になるとDCブランドの影響もあり、それまでの「詰め襟、セーラー服」一辺倒だった制服が、次第に男女ともブレザーに変わった。このときに選ばれたのがハルタのローファーで、私立学校を中心に普及した。 また、まだ1ドルが360円だった時代に、年間20万足、30万足と数多くの靴を輸出。このローファーの普及と輸出の2本の柱が、ハルタの発展を支えた。 卒業後も「大人ハルタ」を履いてほしいハルタの売上げは8割以上が卸しによる。学校関係の卸しルートは、店舗、購買部、制服メーカー、外商など多様で、このほかに大小の専門店にもひろく販売ルートを有している。直営店は「横浜赤レンガ倉庫店」「ルミネエスト新宿店」「ラゾーナ川崎プラザ店」など10店舗ある。最初の出店が「横浜赤レンガ倉庫店」で、そのほかはルミネなどファッションビルが多くなっている。10〜15坪のコンパクトな店づくりを心がけており、店頭の品数は200SKU前後だ。 ![]() ![]() 国内4拠点工場で小ロット生産を堅持赤レンガ倉庫に出店したのは、若い世代のデートコースであり、観光スポットでもあったため商圏が広く、商品が認知されやすいと判断したため。ねらいは的中し、インバウンドも含めて国内外から多くの来店があった。モノづくりでは、日本で最初にセメンテッド工法を導入、東京・足立、北海道、宮城、山形の4つの生産拠点を軸に国内生産を維持してきた。学生靴として広まった結果、足数も必要となってきたが、「4つの工場を自分たちの畑として企業文化を育んでいく」という理念のもとに、国産体制を崩すことはなかった。「国産でありながらリーズナブル」であることをテーマに、小ロット生産とスピードを強化してきた。 OMOのサービスを構築、卸に情報をフィードバック![]() ターゲットとする世代がデジタルに精通しているため、インスタグラムを中心にSNSを駆使した販促活動を行っている。店舗スタッフを中心に週3回ほどインスタグラムを更新、インスタグラムから直接購入できるシステムを導入、効果を上げている。 今秋からは本部からオフィシャルなものも発信、こちらはユーザーの関心が高いソックスとのコーディネイトを軸にビジュアル訴求する。「ソックスメーカーとのコラボによってコンテンツを広げていく」ことも考えていくという。 現在、もっとも力を入れているのが、例えばネットで購入、店舗でサイズ交換する、店舗で採寸してネットで購入するなど、Eコマースと実店舗を結ぶOMO(オンラインtoオフライン)サービスの構築である。 「『D to C』(*)を担う組織を社内で立ち上げ、売上げを伸ばすことよりも、顧客満足度やブランドロイヤリティーのアップを目指しています。専門店がリスクを取れない時代だからこそ、我々がD to C の情報を流し、卸の方に直販した成功事例を持ち込みたい。 お客さまが購入されたというだけでなく、満足していただいているか、隠れたニーズはあるか、不満なところはどこかなど、卸だけでは得られない情報をフィードバックしていくしくみ作りを進めています。我々の成功や失敗の事例から、今後の展開が見えてくると思います」。 アフターコロナの時代は体験価値の追求がポイントに今後の方向については次のように話す。「お客さまは商品を購入するだけでなく、体験価値を求めています。ここが、アフターコロナのポイントだと思います。ハルタの靴を履くと、どういう体験価値が得られるのか。以前、中国の方が日本の制服ファッションをコスプレし、その際にハルタの靴を購入、輸出につながったということがありました。また、国産なので、故障してもすぐ修理して届けてくれたなど、ハルタの靴を通じて得られることすべてが、一つの体験価値です」。 学生のローファーから「大人ハルタ」へ、さらにECによる「体験価値」の追求と、ハルタのチャレンジは続いている。 ![]() (*)ダイレクト to コンシューマー。 メーカーが企画製造した商品を、店舗を介さず直接ECサイトで販売すること ![]() |
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